今回は競馬ブームについてお話したいと思います。

ここ数年、史上空前の競馬ブームと言われたりしますよね。
実際、JRAの売り上げは2012年~2017年まで右肩上がりで推移しています。
これは馬券の売り上げが多くを占めていますが、競馬場の入場料も少なくありません。

この時期に、オルフェーヴルのクラシック3冠と凱旋門賞挑戦、キタサンブラックの祭り、藤田菜七子騎手誕生など、色々な話題がありました。
各メディアでも「競馬ブーム再来」と取り上げることも多いです。

10数年前のディープインパクトの頃も盛り上がっていたとは思います。
ですが、しばらくしてリーマンショックがあり、景気が悪くなるとともに競馬ブームも冷え込んだ感があります。
JRAの売り上げも落ち込み、純利益がマイナスになった時期もありました。
ブームではあったけれども長くは続かなかったというところでしょうか。

現在はその落ち込んだ時期から比べるとかなり活気を取り戻しているのは確かだと思います。
再び競馬ブームが来ているというのもうなづけます。

では、現在競馬ブームにあるとして、実は過去にも大きな競馬ブームがありました。
一般的に大きく2つに分けられ、第1次競馬ブーム、第2次競馬ブームと呼ばれています。

第1次競馬ブーム

日本の競馬の歴史で、ギャンブルの対象だけではなく、ロマンの対象として捉えられるようになった時期がありました。
それが第1次競馬ブームと呼ばれるものです。
代表されるのは1970年代前半に活躍したハイセイコー

ハイセイコーは地方から中央に転じた馬で、競馬ファンのみならず一般の人々にも人気が広がり社会現象にもなりました。
その人気は、最近の有名どころの競走馬は遠く及ばず、後述するオグリキャップでも足元に及ばなかったという話です。
ハイセイコーの活躍は「地方の野武士が中央のエリートに挑戦する」という構図として当時の人々の心をつかんだとされています。

また、このころの日本経済はオイルショックの勃発によって高度経済成長期を終え低成長期に入った時期です。
そうした低迷の時代にあって、人々は挫折を味わいながらも復活への希望の星としてハイセイコーに夢を託したのではないかとも言われています。。

第2次競馬ブーム

2つ目の大きなブームは1980年代末から1990年代初期にやってきました。
日本がバブル経済を謳歌していた頃です。
立役者はオグリキャップ武豊騎手
オグリキャップも武豊騎手も、競馬に詳しくない人でも知っている方は多いのではないでしょうか。

このときのブームは、若い女性や子供まで競馬ファンの層を広げることになりました。
それまでは競馬場に通うのは馬券狙いのおじさんがほとんどでしたが、若い女性や子供連れの家族まで競馬場に姿を見せるようになりました。
また、競走馬だけでなく、武豊騎手を中心に騎手の活躍も注目されるようになったのが大きな特徴だと思います。

当時私はまだ中学生くらいでしたが、競馬が異様に盛り上がっていたのを覚えています。
武豊騎手もオグリキャップも連日のように色々なメディアで話題になっていました。
オグリキャップの人形なども人気がありましたしね。

JRAの売り上げもこのころ急激に伸びています。
集客に関しても、オグリキャップのラストランとなった1990年の有馬記念では、レースが開催された中山競馬場に17万人もの人々が足を運び、この入場者数記録はいまだに歴代1位です。

オグリキャップが引退した翌年の1991年には、競馬ゲームの初代「ダービースタリオン」が発売。
その後に続くダビスタシリーズは爆発的なヒットとなりました。
私と同じくらいの年代の人ではまった方は多いと思います。
ウイニングポストの第1作も1993年に発売されています。

このように、第2次競馬ブームによって競馬が一般の人々に深く浸透し、1つのレジャー・趣味として確固とした地位を築いた時期と言えると思います。

現在の競馬ブームはいつまで続くのか?

過去の2つの競馬ブームをザっと振り返ってみました。
それに続く現在は第3次競馬ブームと言ってよいかもしれません。

ですが、第1次、第2次に比べると、そこまで大きなブームではない感じがします。
また、このブームがいつまで続くかは分かりません。
それ以前にすでに世界経済の減速が懸念されており、近いうちに日本の景気も後退期にさしかかるのは間違いなさそうです。
日本の人口も減少に転じ、年々人口が減っているので、競馬ファンのそもそもの絶対数も減っていきます。
そうなると、今の競馬ブームも長くは続かない可能性があります。

競馬ファンの身としては、これからも日本の競馬が盛り上がってほしいと願っていますが、現在の競馬ブームの今後の展望に不安な要素があるのは否めないところですね。