概要
- 競馬場:東京競馬場
- 発走日時:1984年11月25日(日)
- 距離:2400m
- 天気:晴
- 馬場状態:芝・良
全着順
※馬齢は現在の表記で統一しています。
着順 | 枠番 | 馬番 | 馬名 | 性齢 | 人気 | 斤量 | 騎手 | タイム | 着差 | 馬体重 | 調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | 10 | カツラギエース | 牡4 | 10 | 57 | 西浦勝一 | 2:26.3 | 508 | 土門一美 (栗東) |
野出一三 | |
2 | 3 | 4 | ベッドタイム | セン4 | 2 | 57 | W.カーソン | 2:26.5 | 1 1/2 | 516 | W.ハーン (英国) |
ハリファックス卿 |
3 | 7 | 12 | シンボリルドルフ | 牡3 | 4 | 55 | 岡部幸雄 | 2:26.5 | アタマ | 474 | 野平祐二 (美浦) |
シンボリ牧場 |
4 | 5 | 7 | マジェスティーズプリンス | 牡5 | 3 | 57 | D.マクベス | 2:26.5 | ハナ | 484 | J.キャンティー (米国) |
J.マーシュ |
5 | 4 | 6 | ウイン | セン4 | 6 | 57 | A.グレール | 2:26.8 | 2 | 484 | S.ベイリー (米国) |
S.ベイリー |
6 | 5 | 8 | キーウイ | セン7 | 11 | 57 | J.キャシディ | 2:26.9 | 1/2 | 464 | E.ラプトン (新国) |
E.ラプトン |
7 | 7 | 11 | ストロベリーロード | 牡5 | 7 | 57 | L.ピゴット | 2:26.9 | クビ | 462 | J.ニコルス (豪州) |
R.スター |
8 | 8 | 14 | バウンティーホーク | セン4 | 8 | 57 | H.ホワイト | 2:27.2 | 1 3/4 | 440 | J.カミングズ (豪州) |
L.アトキンス |
9 | 4 | 5 | ウェルノール | 牡3 | 9 | 55 | C.アスムッセン | 2:27.9 | 4 | 484 | G.ベネッティ (伊国) |
コレカレナ牧場 |
10 | 1 | 1 | ミスターシービー | 牡4 | 1 | 57 | 吉永正人 | 2:28.2 | 2 | 468 | 松山康久 (美浦) |
千明牧場 |
11 | 2 | 2 | エスプリデュノール | 牡6 | 5 | 57 | G.ムーア | 2:28.7 | 3 | 470 | J.フェローズ (仏国) |
R.スカリー |
12 | 6 | 9 | カイザーシュテルン | 牡6 | 14 | 57 | E.アプター | 2:28.8 | 1/2 | 496 | O.ラングネル (独国) |
J.リスマン |
13 | 8 | 13 | バウンディングアウェイ | 牝3 | 12 | 53 | D.クラーク | 2:29.0 | 1 1/2 | 460 | M.ベンソン (加国) |
ウインドフイールズ ・ファーム |
14 | 3 | 3 | ダイアナソロン | 牝3 | 13 | 53 | 田原成貴 | 2:29.1 | クビ | 450 | 中村好夫 (栗東) |
大島秀元 |
払戻金 詳細
単勝 | 10 | 4,060円 |
複勝 | 10 | 680円 |
4 | 210円 | |
12 | 250円 | |
枠連 | 6-3 | 8,110円 |
備考
前年のクラシック3冠馬・ミスターシービーと、この年の3冠馬・シンボリルドルフの対決に注目が集まったレース。
ミスターシービーは1番人気、シンボリルドルフは4番人気。
初めての日本馬の優勝に期待がかかりました。
そして、期待通り(?)に初めて日本馬が優勝しました。
しかし、優勝したのはミスターシービーでもなく、シンボリルドルフでもなく、10番人気のカツラギエースでした。
鞍上の西浦勝一騎手の作戦通り、スローペースの中カツラギエースは大逃げをうち、直線ではベッドタイムとシンボリルドルフの追撃を退けてゴールインしました。
シンボリルドルフは3着、ミスターシービーはまさかの10着に沈みました。
この結果に、場内は異様な雰囲気となり、しばらく静まり返ってしまいました。
初の日本馬によるジャパンカップ制覇ではありましたが、大方の予想に反す意外な結果となりました。
ちなみに、当時ミスターシービーが大好きだった私はテレビで生で観ていましたが、10着という結果に思いっきりショックを受け、その日の夜ご飯をろくに食べれないという状況に陥りました(汗)
まだ競馬をよく知らない幼い小学生でしたからね。
今でも、このレースは苦い思い出となっており、動画などで観ることもほとんどありません。