概要
- 競馬場:東京競馬場
- 発走日時:1981年11月22日(日)
- 距離:2400m
- 天気:晴
- 馬場状態:芝・良
全着順
※馬齢は現在の表記で統一しています。
着順 | 枠番 | 馬番 | 馬名 | 性齢 | 人気 | 斤量 | 騎手 | タイム | 着差 | 馬体重 | 調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | 14 | メアジードーツ | 牝5 | 5 | 55 | C.アスムッセン | 2:25.3 | (レコード) | 450 | J.フルトン (米国) |
A.D.シエフラー |
2 | 1 | 1 | フロストキング | セン3 | 9 | 55 | L.ダフィー | 2:25.5 | 1 | 516 | B.マーコ (加国) |
T.スミス |
3 | 6 | 11 | ザベリワン | 牝6 | 1 | 55 | R.ミグリオーレ | 2:25.7 | 1 1/2 | 426 | S.デイマウロ (米国) |
H.M.ポリンガー |
4 | 2 | 3 | ペティテート | 牡5 | 8 | 57 | W.シューメーカー | 2:25.7 | クビ | 458 | R.フランケル (米国) |
P.ウォール |
5 | 5 | 9 | ゴールドスペンサー | 牡6 | 4 | 57 | 大西直宏 | 2:25.8 | 1/2 | 442 | 中尾銑治 (美浦) |
阿部幸暉 |
6 | 2 | 2 | ホウヨウボーイ | 牡6 | 3 | 57 | 加藤和宏 | 2:26.1 | 1 3/4 | 484 | 二本柳俊夫 (美浦) |
古川嘉治 |
7 | 8 | 15 | モンテプリンス | 牡4 | 2 | 57 | 吉永正人 | 2:26.2 | 1/2 | 498 | 松山吉三郎 (美浦) |
毛利喜八 |
8 | 4 | 6 | ジュウジアロー | 11 | 牝4 | 55 | 安田富男 | 2:26.9 | 4 | 442 | 加藤修甫 (美浦) |
岡田充司 |
9 | 5 | 8 | サクラシンゲキ | 牡4 | 12 | 57 | 小島太 | 2:26.9 | アタマ | 488 | 境勝太郎 (美浦) |
(株)さくらコマース |
10 | 3 | 4 | タクラマカン | 牡3 | 6 | 55 | 大崎昭一 | 2:27.0 | クビ | 512 | 松山康久 (美浦) |
吉田善哉 |
11 | 7 | 12 | メジロファントム | 牡6 | 7 | 57 | 横山富雄 | 2:27.1 | 3/4 | 466 | 大久保洋吉 (美浦) |
北野俊雄 |
12 | 3 | 5 | ラフオンテース | 牝4 | 10 | 55 | 岩本市三 | 2:27.7 | 3 1/2 | 414 | 布施正 (栗東) |
小柴タマヲ |
13 | 6 | 10 | オウンオピニオン | 牡6 | 15 | 57 | M.ジャグディッシュ | 2:28.7 | 6 | 396 | A.B.デビデイアン (印国) |
M.A.M.ラマスワミ |
14 | 4 | 7 | ブライドルパース | 牡5 | 13 | 57 | P.J.スーター | 2:28.7 | ハナ | 464 | M.ベンソン (加国) |
ウインドフイールズ ファーム |
15 | 7 | 13 | ミスターマチョ | セン4 | 14 | 57 | G.スターバウム | 2:29.8 | 7 | 516 | L.N.アンダーソン (加国) |
I.マクスウェル |
払戻金 詳細
単勝 | 14 | 1,120円 |
複勝 | 14 | 330円 |
1 | 490円 | |
11 | 200円 | |
枠連 | 8-1 | 2,890円 |
備考
記念すべき第1回ジャパンカップ。
優勝したのは、アメリカ合衆国の牝馬メアジードーツでした。
迎え撃つ日本馬は、ホウヨウボーイやモンテプリンス、ゴールドスペンサーなどの古馬の一流馬が参戦。
レースは、サクラシンゲキの玉砕覚悟の大逃げでファンを沸かせますが、4コーナー付近でカナダのフロストキングが交わし、さらにメアジードーツがゴール前で抜けだし優勝しました。
日本勢はゴールドスペンサーの5着が最高で、ホウヨウボーイとモンテプリンスはそれぞれ6着と7着。
メアジードーツの勝ちタイムは、2:25.3という東京競馬場のコースレコードを1秒縮める日本レコードでした。
この驚異的なタイムに観客はどよめき、異様な雰囲気に包まれました。
海外招待馬はメアジードーツを始め、母国ではほぼG2クラスの馬で、G1勝ちのある馬はアメリカのザベリワンのみ(結果は3着)
日本の国際競走といえども、創立したばかりで知名度は低く、ヨーロッパの競走馬は招待されませんでした。
「世界に通用する強い馬づくり」という目的のもとにジャパンカップは創立されましたが、初めての大会は、海外馬と日本馬の実力の差が予想以上に大きいという現実を突きつけられる結果となりました。